過去にアクセルを見たときに感じたことをもう一度言わせてもらう。
いや、こいつに比べればアクセルなんざカワイイもんだ。むしろカッコイイ
ここで何を言っても仕方ないんだけど、変身ベルトをしてるという以外に
ライダーらしさがどこにも見つからねぇ。
僕がここで言う“ライダーらしさ”というのは
「仮面ライダー」を冠する昭和からの一連のシリーズとしての
ステレオタイプな仮面ライダーっぽさ
たとえば、「丸い垂れ目」「オーシグナル」「触覚アンテナ」「クラッシャー」
「マフラー」「コンバーターラング」「虫モチーフ」など
もちろん全てを押さえている必要はないんだけど
ある程度、そういった1号ライダーをリスペクトした部分あってこその
「仮面ライダー」だと思う。
そう言う意味では、電王はギリギリ、響鬼は失格となるんだが
響鬼はもともと「変身忍者嵐」になるはずだったモノで
「仮面ライダー」を終わらせようとした姿勢は評価できるし
作中で「仮面ライダー」と呼称していないため、個人的に許す。
しかし、いくら主役ではないとはいえ、メテオは酷い。
今までも来年のライダーがバレたときに
二回に一回は「これはない」と思ったものだが
実際に動いている姿を見続けていると、その内慣れてくる。
それは主役としてのアイデンティティもさることながら
新しい仮面ライダー像を作ろうとする作り手の意志を感じることができたからだ。
ところがメテオには「ライダーらしさ」が欠片も見受けられない。
フォーゼと並べて、バリエーションになっているとか、対比になっているとか
同軸で語ることができそうな要素を持っていない。
確かにこれまでの「新しい」ライダーのときのように
動けばカッコイイかもしれないし、見ているうちに慣れるかもしれない
いや、慣れはするだろう
しかしそれでいいのだろうか。
新しいライダー像を模索するのは良いことだし、
「何がなんでも最高なのは旧1号!」とも思っていないが
メテオを認めることは
「仮面ライダー」そのものを否定することに繋がりはしないか。
不安だ。・・・実に不安だ。
ま、2年前にも同じことを言っていながら
アクセルを受け入れている自分が居るわけなのだが・・・
追記:
これ、デザイン見た限りでは「メテオ」つうより「コメット」だよなぁ
どんなメテオっぽい必殺技使ってくれるのかに期待するしかないな