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ONEPIECE 788「私の戦い」

チユポポ。 
大勢の人々が抗う術なく次々と傷つき、倒れてゆく。
自然や建物が破壊され、文化を破壊され、人々の信頼が破壊された。
失われた100年以降、800年平和を維持してきたドレスローザの
国家そのものが存続の危機に瀕している。
この未曾有の危機に、止め処なくあふれる涙に「治癒の力」を乗せて

国中の人々に(限定的ではあるが)超回復をもたらす。
これがマンシェリー姫の「チユポポ」。
動けない身体を癒やし、絶望の淵で未来を諦めかける人々にとっての
「救済」そして「希望」。
その「救済」は一時的なものでしかなく
たった数分間、「今」を生き延びるための延命措置でしかない。
しかし諦めきった人々に「まだ助かる」と思わせることが
どれだけ大きな動きを生み出し、国全体の生命力につながるか
マンシェリーは知っている。
そして、その「たった数分」を凌ぎきれば
リク王の口から全国民にその名を伝えられた、ドレスローザの希望
ルフィが復活するのである。

希望はある。
足が折れても走り続けろ。

その希望を後ろから支えるマンシェリーの「チユポポ」は
直接的な戦闘力とはならないが、人々の生命力を押し上げる。

武器は使えませんけど、悪い人はやっつけられませんけど、
これが私の戦いれす!

「私の戦い」
そう、今回のサブタイトルは「私の戦い」。
嘆き、逃げ惑うだけだった一般の人々も

前向きに自分を、愛する家族を、国を守る情熱を持ち直した。
もうこれは意識をひとつとした、ドレスローザという一つの国の
生き残りをかけた「わたしの戦い」でもある。
しかし今回重要な「私の戦い」はもうひとつあった。
父を、姉を、全国民を裏切る形で、
屈辱を飲み込んでファミリー幹部として10年間生きてきた
ヴィオラのケジメ。

ファミリーが崩壊するというのに幹部だった私が
何のケジメもつけないなんて、ムシが良すぎるでしょ…

ヴィオラは自らの役割をもってそこにいただけで

ファミリーに心を許したことは一度としてない。
彼女の立場を考えれば、
彼女ひとりがそこまで気負う必要はなく、酌量の余地はいくらでもある。
しかしヴィオラにとって、それをただ許され、
今後の人生を生きることはできなかった。
ヴィオラには「ヴァイオレット」としての10年間の人生と
完全に決別する必要があったことが、
ドフラミンゴとの短い会話から伺える。
直前までヴィオラはドフラミンゴを「ドフラミンゴ」と呼び、
ドフラミンゴもまた、ファミリーを去った彼女を
もう「ヴァイオレット」とは呼んでいなかった。

そこへきて、覚悟の呼びかけが「ドフィ」
そしてそれに呼応するかのように
「情熱的だな…ヴァイオレット」・・・である。
これは二人が個人的に密接な関係であったことを示唆している。

ヴァイオレットは、暗殺者でありファミリーの幹部だった。
他の幹部たちは戦士として国民から憧れと尊敬を集めている中、
彼女だけは「踊り子」として国民に周知されていた。
「暗殺者」という職業柄、本職で一般人に有名になることはあるまいが
あきらかに他の幹部とは扱いが異なる。
また、彼女は直属の部下たちから「ヴァイオレット様」ではなく
「姐さん」という、特定の職種において高位の女性を呼ぶような呼称で呼ばれ、
「若」ではなく
ファミリー結成以来、30年来の仲である最高幹部だけが呼ぶ
「ドフィ」という愛称でドフラミンゴを呼んだ。
ヴィオラが「極道の妻」的立場であることの証だ。
かつてドフラミンゴは、ヴィオラの「ギロギロの実」の能力欲しさに
ヴィオラをファミリーに取り込んだ。
かたや、ヴィオラは父王の命と
全国民の生命財産を守るためにその身を差し出したとはいえ、
暗殺者にまで成り下がったことには理由があるはずだ。
ヴィオラはその能力を、日々、望まぬことに使役され
単に虜囚の身であるよりも、
その立場を利用するべきと考えたことは、想像に難くない。
反抗せず、ドフラミンゴの信頼を獲れば
いざ反攻作戦に出る際に役に立つ情報や、
うまくすればドフラミンゴのアキレス腱を握ることだってできるかもしれない。
「魂だけは売り渡すまい」その考えを胸に
協力者としてファミリーの深部へ入っていったのだ。
ドフラミンゴの信用を得るために、色仕掛けなどもしたかもしれない。
いや、したのだろう・・・
多くは言うまいが、今回の二人からはそういう淫靡な臭いが漂ってくる…
かくして、ヴィオラはヴァイオレットと名を変え幹部にまでなった。
そうして、より深い信頼を得るために
ファミリーの悪事にも積極的に加担した。
しかし、その能力ゆえ、
腹黒く自らの保身しか考えないゲス共の思考ばかりを読むうちに
次第に人間への信頼、未来への希望を見失っていったヴィオラ。
麻痺というのか、洗脳というべきか
ヴィオラの日常はファミリーの「事業」が是となってゆく。
そうした日々を送る中で、
ドフラミンゴの底知れない悪のカリスマに
わずかでも魅了されなかったと言い切れるだろうか。
心の底からドフラミンゴを憎みながら
一方で、彼女はドフラミンゴに魅せられていたのである。
そうでなければ、一国の王女ともあろう子女が
暗殺者にまでなったことの説明がつかない。
ただ能力を提供するだけでも生命は保証されたはずなのだ。
自我を見失わないために、自らの行いを正当化しようと心を傾けた結果、
真に国を憂いドフラミンゴを憎み続けることが
今やリク王家を憎んでいるドレスローザ国家・国民のために本当になるのか
疑問をいだいたこともあるだろう。

その麻痺した感覚は、サンジの「一点の曇りもない下心w」によって
「人間まだまだ捨てたモンじゃねぇ」と我に返らされることとなるのだが
ヴィオラがヴァイオレットとして過ごした年月
ドフラミンゴを心の拠り所としていなかったと、なぜ言えるか。
今、ヴィオラはその過去に決別しようとしている。
ファミリーが崩壊する今、つけるべきケジメ。
それはまさに「今」しかつけることができないケジメなのだ。
昼ドラも真っ青な、思わぬ愛憎劇に飛び火したワンピ。
オダッチのひきだしの多さに脱帽です。
ところで、

「幹部以上は長年苦楽をともにした家族」
この価値観はドフラミンゴから幹部たちへ一方的に送られる愛情だが
貴族・王族などの権威を毛嫌いしているであろうドフラミンゴが
果たしてヴィオラを家族として心から受け入れていたかどうかは、甚だ疑問だ。
ドフラミンゴはヴィオラの企みも、全てわかった上で、
上記の関係を築いていた可能性がかなり高い。
しかし、それと同時に
ヴィオラの個人的な苦悩やジレンマも
懐深く受け入れていたとも考えられるのである。
ドフラミンゴがただの「悪」で済まされない理由がこんなところにある。

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