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ジョジョの奇妙な冒険 第三部 #46「DIOの世界 その2」

おことわり)
アニメ「ジョジョの奇妙な冒険」 のレビューは
「原作準拠」の検証の意味も込め、コミックとの比較をするスタンスで書いています。
往々にして揚げ足取りの文章となるため
ファンの方には、しばしば不愉快な思いをさせることがあると思いますが、
筆者は決して悪意を持ってはいないことをご理解の上読み進めていただけると幸いです。
また、検証・認識の甘さから、的はずれなことを書くかもしれません。
その場合は、遠慮なくご指摘ください。

コミックス 27巻7章~10章後半までに該当。
DIOのスタンドの正体を見極めるため、
作戦としての逃走中、これまでの孤独な半生を振り返る花京院。
jojo-SC_46a.jpg
原作では文字だけだったモノローグに
回想(というよりイメージ)映像がつけられている。
担任教師やクラスメート、母親の顔が黒く描かれているのは
物語上重要でないからでも、デザインする時間や予算の都合でもなく
それらの相手と心を通わせることがなかった為
表情がわからない、記憶に残っていないという意味だろう。
同様に少年時代の自分自身の顔までが黒塗りなのは
他人に心を開けない = 真の感情を露わにしないことの暗喩。
心が通い合う真の仲間たちと行動を共にしてきた今、
当時の自分がどういう表情をしていたか、まるで思い出せないのだろう。
余談だが:

アレッシーの「セト神」の能力で子供に戻されたチャリオッツは、
ポルナレフと同じくらいの年齢になっていたが、
少年時代の「法皇の緑」は花京院よりもやや等身が高い。
スタンドは精神で操る能力なので、その姿は本体の人物の精神の投影。
花京院は見た目よりも精神年齢が高いとでも、好意的に捉えるとしよう。
さらに余談だが:
花京院少年のシャツの胸ポケットにチェリーの刺繍が。

言うまでもなく「チェリー」は花京院の好物。
母親の愛情には恵まれていた…と考えよう。

一説には、彼のピアスも「チェリー」を模したものと言われているが

初登場時のデザインからは、とてもそうとは思えないので、
あと付け、もしくはデマだろう。
ここまでがアバンタイトル。
まぁ、はじまって早々なんだが…、死亡フラグがビンビン立ちまくってるよな。

半径20m「法皇の緑」の対人地雷、待ったなし。
しかしDIOは動じない。
「世界ザ・ワールド」!!

次の瞬間、花京院はふっとばされていた。
ここの表現は原作とは順序が異なる。
原作では「世界」が発動し、どうやって花京院をふっとばしたかが
順序立てて描写されていたが、
アニメでは花京院・ジョセフ目線で体験したことを、まず描いた。
すなわち、何が起きたのか、何をされたのかは、
視聴者にもまだ分からない。
タネ明かしはあとで。これが細かい部分でも徹底されている。
花京院のメッセージをヒントに、ジョセフが解答を導き出すまで
「世界」の能力の正体は謎とされたままなのだ。
まず、花京院の作戦を陰から見守っていたジョセフが

いきなりふっ飛ばされた花京院の方をすでに見ていたことが
僕は当初気にかかった。

原作では、さっきまで見ていた場所を向いたまま驚くジョセフが
視界の端へとふっ飛ばされた花京院の姿を目で追い、

「ばかなッ!」と戦慄するのだが、その動きがない。
これも「世界」の能力を視聴者にまだ悟らせない仕掛けのひとつだ。
その後「世界」の能力に気づいた花京院は、
それを言葉に表さず、時計塔のメッセージのみを残す。
そして、ジョセフが能力の正体に気づいて、はじめて
その瞬間に何が起きたのかが視聴者に語られる。
これは、なかなか効果的な見せ方だ。
わけが分からず、とにかくやられた花京院が
おぼろげに見つめた時計塔。
5時15分…日本は夜の12時頃か…
少し調べてみると、
カイロの日没時間は一年間で最も早い12月はじめ頃でも17:50過ぎ
季節による変動はあっても、
25年前だからといって、日没時間にそうズレがあるとは考えにくい。
17:15では、まだ陽が落ちていないはずだ。
それを「おかしい」と考えたのか、
OVAでは、19時直前の出来事に変更されていたが、本作では原作通りの時間。
頑なに「原作通り」を堅持するべきところではないと思うのだが…。

生命の炎を振り絞って出した、最期のエメラルド・スプラッシュ。
もはや「法皇の緑」の形状が保てないなど、
精神力の限界を超えていると感じさせる演出が、
ここまでいろいろと不遇だった花京院に最期の華を持たせている。
花京院死亡。
ちなみにOVAにおいて、消え行く「法皇の緑」は、

白い部分を残して、まず緑色の有機体部分が消失し、次第に全体が消えた。
なかなか芸の細かい演出だ。
なんか、DIOが普通に宙に浮かんでいるのが不思議な件。

吸血鬼の能力でも、ジョナサンの肉体由来の能力でも、
「世界」の能力でも、こんなことはできないと思うのだが・・・
超サイヤ人の舞空術みたいで少し違和感があるな・・・

いや、まぁ原作でもたしかにこういう表現で宙に浮いているし、
この後は普通に空を飛んでジョセフを追いかけたりしているんだが・・・
いったいどうやっているんだろう。
「世界ザ・ワールド」が時を止めた世界。

一瞬、目に見える物の色が反転し、
次に、モノクロームに近い彩りの乏しい景色に変わる。
時間が止まるということは、あらゆる物質が運動をしない。
「光」すら移動や反射をしないため、
素人考えでは「真っ暗になる」気がするのだが(あくまで素人考えね
それが正しいかどうかはこの際置いておいて、
生命の躍動を失った沈黙の世界を、彩度の低さで表しているのだろう。
この演出はなかなか良いと思う。
ちなみにOVAでは、

一瞬で世界が真っ赤に染まり、その後元の色に戻る。
止まった時の中では、くぐもったDIOの声がわずかに反響していた。
時間が止まった世界でジョセフの処刑執行。

太陽の波紋疾走で肉体を防御しているジョセフに
触れないように、ナイフを投げるDIO。
ここで少し疑問なのだが、
時間が止まっている世界では、
あらゆる運動エネルギーは伝達されない。(はずだ
DIOの精神の力で時間を止めているので
DIOの手から離れたナイフがふたたび静止するのは、なんか分かる。
(ただし、静止中に動かした物質の慣性が、再生後に作用するのは
 ちょっと腑に落ちないところもある・・・

あらゆる運動エネルギーが伝達されないのであれば
仮に波紋に触れようとも流れ込んでくることはない。
接触した部分にのみ「幾ばくか」の波紋が付着することはあっても
平時に気化冷凍法で防御するよりも安全性は高い。(はずだ
まぁ、結局触れてみなかったのだから
触れるとどうなるのかの仮定は、この際必要ないか・・・。
例えば「時が止まっている間は波紋は流れてこないのだッ!」として
誰も気づかない間にジョセフの首を手刀で落とすよりも、
“止まった時間が再開するとどうなるのか”を視聴者に示し、
承太郎にはジョセフが致命傷を負う瞬間を見せつけるという
いかにもDIOらしい懇切丁寧な劇場演出の方が、
いろいろな意味において数段効果的だ。

力尽き「隠者の紫」がボロボロと崩れ落ちるジョセフ。
いよいよはじまる最終決戦!

スター・プラチナ vs.世界ザ・ワールド
次回:DIOの世界 その3

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