義理堅いことが信条の任侠の人、ジンベエがビッグ・ママに反旗を翻した。
ひとときは
ジンベエの離脱について理解を示すような物言いをしながらも、ママが、その条件として無理難題を吹っ掛けてきたからだ。
しかし、いくら無理難題だったからといって、言い分が通らないことに、逆ギレのように謀反を起こすというのは、ジンベエの主義主張的にどうなの?という気がしないでもない。
では少し確認してみよう。
ジンベエは落とし前のルーレットにビビり、離脱の申し出を取り下げた
と、新聞には載っていたようだが、おそらくそれは正しくない。
あのルーレットからは、死と悪意の匂いしかしない。と、ジンベエは言っている。
ジンベエは離脱する上で、恩あるママにきちんとスジを通すべきで、事実そうしたいと思っていたが、これは話が通じる相手ではないと判断し、紳士的に、穏便に解決することを諦めたのだ。
離脱の話を取り下げてなどいない。
少々不本意かもしれないが、義理を通そうとした結果。
ジンベエに後悔はないだろう。
ジンベエの中では離脱することは、最初から決定事項であり、ママの許可を必要とする質のものではなかった。
ただ、スジとして、黙って去ったり事後報告するべきではないと考えただけだ。
おれはお前という一大戦力を失うのさ。お前も何か失え。というママの言い分は、まぁ感情的に理解できるし、まだ理屈が通っているので、それで互いに気持ちよく去れるのなら話を聞いてもいいと一度は思ったかもしれないが、その内容がマトモじゃなかった。
それもそのはず。
ママの信条は「来るものは拒まず、去る者は殺す。」なのだから。
遡って参照してみると、このママのポリシーは結構徹底している。
自身を中心として、トットランドを構成するあらゆる種族にママが少しでも偏見を持っていれば、万国は成立しない。そういう意味での差別意識は、おそらくママにはまったくない。
「来るものは拒まず」に一点の曇りもない(例外もあるようだが)からこそ、様々な種族の男と肌を重ねられた(w)だろうし、そうして多種族一家をつくることで、差別のない国の手本となっているのだ。
そして、偏見がないことと真逆に、特定の種族や人物に拘りがないからこそ、自分と「血」の繋がりがない夫には、様々な種族の子供たちを生み出す「道具」くらいの価値しか認められないのだ。
さらに、たとえ血を分けた実子であろうとも、ローラのようにママの望みの妨げとなり、ママの元を去る者は忌むべき存在となる。
すなわち、ママには「家族愛」なども存在しない。
特別なのは、自分と、自分の分身たる(聞き分けの良い)子供たちだけ。それ以外はどんな種族であろうと、元夫であろうと、すべて分け隔てなく平等。いや、それ以外はママにとって等しく「とるに足らない存在」なのだ。
トットランド国民はママの真意を知らない。知る由もない。
現実の世界でも、多くの場合、国家元首や宰相が本当は何を考えて治世を行っているかなど、一般国民は知り得る手段を持たず、積もり積もった憤懣こそなければ、それはそこそこ良い政治と感じるのものだ。
この国に人種差別はないが、「選民」と「それ以外」に完全に二分されている。選民は王族や大臣たちなので、国民はその構造に気付いていない。
ママはあらゆる種族を等しく愛する「博愛の人」では断じてなく、国民を「”魂”製造機」くらいにしか考えていない。
この現実にトットランドの国民が気付いたとき、いや、ドレスローザのように、否応なく気付かされる事態になったとき果たして国民の目は覚めるのだろうか。