「火祭り」
都の町人たちの年に一度の盛大な祭。
現在のワノ国では、カイドウを「明王」と位置づけ仰ぎ、その日、ワノ国の唯一絶対の国主オロチが盛大な将軍行列で鬼ヶ島を参拝する一大神事を行う。
その実態はただの大宴会なのだが、表向きは、天災にも匹敵する人ならぬ力を持つカイドウを後ろ盾に、オロチの威光を「神がかり」的に演出し国中に知らしめるプロパガンダなのである。
そもそも「火祭り」は、死者を弔う行事だったとのことなので、オロチとカイドウのエセ神事は、同じ日にやっているというだけで「火祭り」とは無関係のようだ。
ただ、オロチとカイドウの手勢はほぼ全てが鬼ヶ島の大宴会に参加し、どうせ民に対する無法な取り締まりが無いも同然となるため、それを恩着せがましく「年に一度の無礼講」の日としたのだろう。
都では櫓が組まれ、出店が並び、ねぷたが練り歩き、民はまさに飲めや歌えの大騒ぎ。何を言っても許される、誰も殺されない最高の一日。
花の都は、オロチ・カイドウの役に立つ民だけを集めたんだったと思ったが、その彼らでさえ年に一度のこの「火祭り」の日にしか飲酒が許されないというのだから、オロチの圧政はそうとうに酷いものだ。
このテの祭というものは、保存会だとか実行委員会のようなものが地域の有志で組まれ、寄付金や補助金で必要経費を賄うものだが、民に寄付金を出す余裕があるようには見えないし、公的補助が出るとも思えない。この圧政下で有志の民が仕事をおろそかにせず事前準備をするのも大変だ。
民を生かさず殺さず、アメとムチの「アメ」として、おそらくは狂四郎がオロチを言いくるめて経費を出させていたのだろうな。20年前より以前はヒョウ爺たち任侠ヤクザがいたから、彼らが取り仕切っていたんだろう。
そんなワノ国で唯一栄える花の都の民たちも、決して恵まれた暮らしをしていたわけではなかったらしく、伝説の彼方へ追いやられた「光月家」の侍が復活し、オロチとカイドウを打ち倒す日を夢に思い描き、それだけを心の拠り所としてなんとか日々を過ごしていたのだという。
普段は「誰もカイドウを倒せやしない」「希望なんて持たない方が幸せ」と、今や支配されることに慣れすぎた民たちが、胸の奥底の「うたかたの夢」を思い出し、噛みしめるのがこの日なのだ。
だが、今年は光月トキが予言したと言われる20年目。実際に町にはこれまでにない騒動も起きていたし、身内や知り合いが光月の判じ絵に同調して行動した者だって居るだろう。民の膨らむ夢の盛り上がりもひとしおだろう。
おそらくはこの「火祭り」、昔は本当に明王を祀る神事だったはずだ。今「鬼ヶ島」と呼ばれているあの小島に祀られていたかどうかまでは分からないが、
ヒョウ爺曰く、ギア4thのルフィは「あの姿まさに…明王!!」なのだそうで、この「火祭り」の夜にルフィがカイドウを倒す姿が、後に、救国の英雄は「明王の生まれ変わり」と伝説化することが予想できるよな。
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さて、
前回、赤鞘の侍4人同時の「桃源十拳とうげんとつか」を喰らったカイドウ。
かつておでんに斬られた傷は開き、血が滴り落ちているものの、
カイドウは言う。
赤鞘たちの気迫に、光月おでんの影を見た。別に、殺されてやってもよかった
だがお前らはおでんには及ばない。そんな力じゃあの時の傷は開きもしねェ。
この言葉の意味するところは、おそらくこうだ。
カイドウは20年前のあの日、おでんとまともに戦っていれば敗北していた。
それをひぐらしババアの余計な手出しのせいで命を永らえ、生まれてはじめて出会った自分を殺せる男であるおでんを不名誉な死に至らしめたことを、今でも夢に見る。だから、おでんになら殺されてもいいと思った。
だが、本当に死を実感するほどの驚異は、赤鞘たちからは感じなかった。お前らごときにむざむざ命をくれてやる訳にはいかない。
おでんがつけた傷は明らかに開いているのに、そんな力じゃ開きもしない「あの時の傷」とは、おそらくはトラウマとも言うべき、魂に深く刻み込まれた恐怖、死の実感。
おでんに迫る実力をいくら見せようとも、その9倍の物量で攻めようとも、どうやらダメらしい。地上最強の生物を真に屈服させるには、圧倒的な力で、魂の根底から敗北を実感させる必要があるようだ。
果たしてルフィにその力が備わっているというのだろうか。
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「出直してこい」とばかりに反撃を開始するカイドウ。
まずひとり・・・
あぁ・・・これあかんやつや・・・
主君を謀殺された無念と怒り、救国の想いと使命感、今夜このとき限りの覚悟の攻撃はおでんの影を感じさせたが、今、仲間を傷つけられた怒りと、その戦力を補おうとする焦りや力みは、カイドウにかつてのおでんを重ねさせることはできないだろう。ここから先はジリ貧だ。
どうなる赤鞘九人男!
って・・・あ〜・・・これローなら治せるんだっけ・・・