ルフィの攻撃が通った!?
銃砲でも斬撃でもなく「打撃」がカイドウに効いたことに驚くキッドと、理不尽なほどに無敵と思われたカイドウにもつけいる隙があるのかと、かすかな希望を見出すキラー。
そう楽観できたものではないのだろうが、ルフィがヒョウ爺からレクチャーされた「流桜」の可能性は分かった。
一撃で勝負がついた九里での邂逅から、わずか一月足らずの間に自分に通用する戦闘術を身につけてきたルフィに困惑するカイドウ。
脳裏に浮かぶのは、これまでカイドウと互角以上に戦ってきた猛者たちの姿。
驚きはしたが、カイドウにとってこれは嬉しい誤算だったかもしれない。
それではまず、前回戦ったときとどのくらい変わっているのか見てやろうとばかりに
身を翻して致命傷を避けたルフィの成長に、カイドウはいささか嬉しそうだ。
そこに、世界一の剣豪:ミホークに師事しおでんの刀を譲り受けた、麦わらの一味のNo.2であるゾロと、ハズレSMILEの副作用から回復し(…てるよな?)本来の武器を手にしたキラー、
そして、さっきのルフィの攻撃を見て軽々に「打撃が有効」と考えたのか、圧倒的物量で圧死を目論むキッドと、「体内への医術的な死を狙う」と言いながら、なぜか尖った岩の塊を雨のように降らせるローが一斉に襲いかかる。
それを余裕で受けて立つカイドウ。
ビッグ・マムに下がらせたのも「コイツらの力を見たい」からだったので、力試しももう頃合いか、ふたたび龍の姿になって仕切り直しだ。ここからはビッグ・マムもおそらく戦線復帰するはずだ。
勝った者が総取りする「仲間」も「宝」もとは、言うまでもなく「歴史の本文」の情報とロビンのことだ。
「海賊王」への道の、大きく、そしてもはや避けられない分かれ道。ようやく戦いの本番が始まる。
さて、
普段はつまらなさそうに酒に浸り、世を儚み世界の破滅的支配を夢見るカイドウが、これまでになく活き活きとしている。それはなぜか。
赤鞘の侍たちと戦っているさなかには、おでんの遺志が本当に乗り移っているなら殺されてもいいと考えた。
それは20年前に、本来であればおでんに敗北していたであろう自分を認めているからだ。あのときの不本意な勝ち方に、後悔までせずとも、今でも拭えぬわだかまりがあるのだろう。
「最強の侍」を望まぬかたちで殺してしまった過去の経験から、跳ねっ返りの強い若者を無碍に殺さず手下に引き込み有効活用するようになったのかもしれないし、「自殺」を趣味としているのは、生涯でたった一度だけ経験した「死」の恐怖「死」の実感を思い出すためだろう。それらはすべて、20年前におでんと決着をつけられなかったことに起因しているのだ。
カイドウのもとへやって来るのは半端な強さの期待はずればかりで、命を脅かすほどの強者は現れない。海軍の処刑もカイドウを死に至らしめることはできなかった。そりゃ空虚にもなろうというもの。
そんな中、赤鞘の侍たちはイイセンいってた。
彼らから感じる「おでん」の影に当惑した隙に、彼らの剣は無敵のはずのカイドウの身体を傷つけた。
だが、上書きされた古傷から血を滴らせながら「そんな力じゃあの時の傷は開きもしねェ」と言ったのは、見た目の傷ではなく、恐怖を味わい敗北を実感した「心の傷」トラウマを呼び起こすには至らないという意味だ。
おでんになら殺されてもいい。だが赤鞘たちは、おでんではないのはもちろん、その域に達してもいなかった。
これまでSMILEで戦力を増強してきたが、ドフラミンゴ失墜でそれが頭打ちになった。
ビッグ・マムと同盟を結ぶことで、戦力が満たされた。
科学者ふぜいが作った海軍の「新戦力」とやらが気に入らない。
目の前の跳ねっ返りを倒せば「歴史の本文」とニコ・ロビンが手に入る。
あらゆる条件が「今でしょ」と告げている。
おそらくカイドウは、長らく続いたこの停滞を動かしたいのが第一義、世界を混沌に陥れるのは第二で自らが退屈しないため、海賊王になるのはその次くらいで、絶対的な地位を手に入れ、面倒くさい跳ねっ返りを寄せ付けないためなんじゃないだろうか。
ビッグ・マムが「ひとつなぎの大秘宝」や「海賊王」の称号に求めるものとは、かなり趣が異なると思うね。
活き活きして見えるのは、ルフィがおでんの代わりに「死」や「恐怖」を与えてくれると考えているわけではない。
だが、久しく現れなかった自分と対等に戦える(かもしれない)男の登場に、カイドウが認めた猛者たちを(うっかり)重ね合わせ、
オラ、わ〜くわくすっぞォ な心持ちであることは間違いなさそうだ。
余談だが…
カタクリ戦を経たことで身につけた、ルフィの「相手の行動を先読みする能力」。
カタクリの未来予見は、異常に発達した「見聞色の覇気」の産物とのことだが、ルフィのものは少し質が異なると僕は考えている。
そもそも「覇気」とは人間誰しもがもともと備えている資質であり、身体能力を極限まで拡張することで開花する能力だ。ヨガや気功、中国武術や仙道にも似たような概念が存在し、その域を極めた超人が登場する創作は多数あるが、「覇気」が、あくまで人間の能力を極限まで究めたものであるなら、カタクリの見聞色はその枠を逸脱していると言わざるを得ない。
作中で明確に定義されていない空想の設定にとやかく言うのは野暮だし、ナンセンスだと思わなくもないが、覇気が人間誰もが持っている才能だと言うなら、それをいくら極めようが未来の映像が見えるようにはならないというのが僕の考えだ。
カタクリの未来予見は、実は「覇気」ではない何か別の超能力だと思いたい。
同じような能力に目覚めたルフィの場合、「生き物の感情を感じ取ることに長けた能力」とのレイリーの評が、生き物のみならず万物の声が聞けたというロジャーの才能に繋がる気がして、その独自性を感じていたんだが・・・
「未来を読んだ」
と、こう明確に言われたら・・・ちょっと興ざめだわ・・・。
あと・・・サムネの変顔は・・・
ま、いいんじゃね。とくに言うことないわ。