本当は初日に観に行くつもりだったんだが、コロナ陽性で自宅謹慎中だったので残念ながら諦めて、ようやく盆休みの最終日15日に観てきたよ。入場者特典が何もなかったのは残念だった。
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本筋のストーリーや謎の根幹についてはネタバレしないように気をつけるけど、そうでない事柄については言いたいことを書くので、ネタバレを嫌う諸兄はこの先を読まないでほしい。一応、忠告はしとく。
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ネット配信でカリスマとなった歌姫:ウタのはじめてのオープンライブ。
会場となる音楽の島エレジアに詰めかける熱狂的なファンの中には、麦わらの一味もいた。
ウタが「歌」を通して人々に伝えたいことは何なのか。
それは万人にとって、政府や海軍または海賊など特殊な人々にとって幸せなことなのか。
「歌」は世界を救うのか、それとも滅ぼすのか。
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もう伝説のジジイとのバトルは飽きたから可愛い女の子の出てくる映画を。というオダッチの言葉どおり、いつものワンピとは雰囲気も展開も大きく異なってた。なるほど、ワンピらしくないが、ネタの料理の仕方はすこぶるワンピらしい、エンタメとしては高い完成度だったと思う。
とりわけヒロイン:ウタの歌唱担当のAdoについて、前評判では賛否いろいろ聞いていたけど、その声、テクニック、話題性のみならず、キャラクターの成り立ちからしてまさに適役。
「歌」が7割でお腹いっぱい。Adoの押し付けプロモーションがクドい。などの意見も聞いていたけど、今回は「歌」がテーマだし、中途半端にするよりは振り切ってていいと僕は感じた。付け加えて私見ではあるが、テーマとしての「歌」の使い方は、同様に「歌」を戦略・戦術として利用するマクロスシリーズよりも断然昇華度が高く、制作陣の本気具合が伺えたと思っている。
ウタというキャラにAdoがぴったりハマったのかもしれないし、Adoというアーティスト在りきでキャラメイクされたのかもしれない。だが、それはどっちでもいいこと。
「隙あらば歌が始まるディズニーアニメみたい」なんて評はまったく的外れで、「ウタウタの実」の能力者のバトルが「歌」を“攻撃手段”とするのは当然であり、今回はゲンコツ自慢の「男の闘い」じゃないんだから、それをどう表現するべきかと考えたら、あらゆる演出に「歌」が効果的に使われるのは当然なのだ。
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ただ、
「では、映画として一流か?」と問われると、それはまた別の問題で、決してそんなことはない。
本作に限らず、ワンピ映画(とりわけ最近)の特徴として、ゲストの多さが目に余る。
断言していいが、ワンピファンの殆どはルフィの熱い戦いが観たいのだ。それぞれ推しのキャラがいる人もいるだろうが、そのキャラがルフィ以上に活躍するものまで望んではいないはずだ。そういうものはスピンオフか同人作品でするのがよろしい。
「ONEPIECE FILM」と銘打つ以上、我々が観たいのは麦わらの一味の活躍であり、血湧き肉躍るルフィの闘いなのだ。異論は認めない。
しかし数年に一度のお祭り企画、賑やかしにも力が入り、バラエティ豊かな様々なキャラがゲスト出演する。出演すれば、彼らにもそれなりに見せ場を用意しなければならないので、結果として戦闘シーンがゴチャゴチャになってしまう。
ぶっちゃけ、ローもバルトロメオも、オーブンもブリュレも、黄猿も藤虎も、コビーもヘルメッポもブルーノも、いなくても作品は成り立つ。
「STAMPEDE」以上の「総力戦」を。「STAMPEDE」以上の無力感・絶望感を。と思えば、自ずとこうなったということだろうか。
あくまでファンサービスなので、この作品単体としての評価を損なうことにしかならないんだけど、25年続く国民的アニメの「ファンムービー」だから、という割り切りがそうさせているのだろう。
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さて、ここからは気づいた点を箇条書きに。
・ウタとルフィの出会いは12年前でワンピ本編の前日譚。だから、ルフィにはまだ左目の下の傷がない。
・ウソップと、父ヤソップとの協力プレイが非常に熱い。原作以上にウソップの見聞色が強く発現したのは、やはりヤソップの存在が呼び水となったからだろう。
・同様に、ラストでルフィとシャンクスのとても熱い共闘が描かれるんだが、故あって二人は出会わないまま終劇を迎える。
・最後の一瞬だけ、ルフィがひっそりとギア5thを発動させてたのはコミックス派・TVアニメ派の人は気付かなかったかも。
・映像電伝虫に「SSG」の文字が。
・ロックスターが、赤髪海賊団の主要キャラのひとりであるかのような扱いに苦笑。
・赤髪海賊団の猿連れたボンク・パンチ。しれっと12年以上前からいたことになってるな。
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ホンマでっかTVで「結局シャンクスはどっち側なんですか?」と聞かれたオダッチが「映画を観てください」と言ってたが、劇中で明らかにはならなかった。そりゃそうだよな。
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で、
結局のところ、タイトルが「RED」である意味がよくわからない。
ウタは「歌」で「平和な世界」を作ろうと奔走するが、それが手段として間違っていることは明白で、ルフィは自分の理想を曲げないために、そしてウタを救うために闘う。
シャンクスは自らが蒔いた種の成長を見守りに、そして親として間違いを正して愛を与えるためにやってくる。
物語の根幹に根ざしてはいるけど、この映画は断じてシャンクスの映画じゃない。
シャンクス自身の、思想や過去や未来も大きく関わってはいない。もちろん共産主義とも関係ない。
なぜ「RED」というタイトルを付けたのか、それが唯一最大の謎だ。
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あと余談だが:
ウタがシャンクスの本当の娘じゃないことは、予告編などで流れてた「何があっても、お前はおれの娘だ」ってセリフで予想できたよね。
血が繋がってるなら、そんなこと云うまでもない事だからな。