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ジョジョの奇妙な冒険 第三部 #38「地獄の門番ペット・ショップ その1」

 




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おことわり)
アニメ「ジョジョの奇妙な冒険」 のレビューは
「原作準拠」の検証の意味も込め、コミックとの比較をするスタンスで書いています。
往々にして揚げ足取りの文章となるため
ファンの方には、しばしば不愉快な思いをさせることがあると思いますが、
筆者は決して悪意を持ってはいないことをご理解の上読み進めていただけると幸いです。
また、検証・認識の甘さから、的はずれなことを書くかもしれません。
その場合は、遠慮なくご指摘ください。

コミックス 24巻03章~06章終盤までに該当。
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外国人のくせに、この場所に「物乞い」みたいに座るんじゃあねえ!
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原作における「こじき」に当たる単語がすべて「物乞い」に置換されている。
現在では「乞食」「こじき」は放送上の差別用語とされているそうなので仕方ない。
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インドのときは
「こじきや泥棒ばかり」というジョセフの先入観からなるセリフがカットされ、
町の人々の「バクシーシ」「恵んでくれ」がすべて「チップくれよ」に変更、
jojo-SC_38d.gif
さらに、実際に19世紀の英国人が辛辣に評した言葉も使用せず、
「都市に渦巻いているのは、すさまじいまでのエネルギーである」という
なんともお為ごかしなナレーションで説明された。
このときは、作中の1989年頃のカルカッタと現在のコルカタを混同し
文化風俗のギャップに誤解を与えることを危惧して
不必要に悪いイメージを持たせる言葉を排除したものと推察した。
jojo-SC_38e.gif こじきの組合
現在のカイロにも存在しているのかどうかわからないが
実際、世界中に職業こじきは存在するので、描写自体を自粛する必要はないだろう。
放送コードに引っかかる「こじき」という言葉のみ使用しないというのは
妥当な改変に思う。
探し求めていたDIOの館を、見つけるつもりもさらさらなかったのに
通りすがりに、その異常さに気付かされてしまった、事なかれ主義のイギー。
jojo-SC_38f.jpg jojo-SC_38g.jpg
敵の名はペット・ショップ
「ホルス神」の暗示を持つハヤブサだ。
全体通してちょっと男前に描きすぎだ。瞳の虹彩が美しすぎる。
もっと敵意・攻撃衝動・猜疑心など、本能的な害意を目に宿してほしい。
jojo-SC_38h.gif こんな感じな。
ついでに言うと、この時点で微笑んでるように見えちゃ駄目だ・・・
後で出てくる「ニヤリ」や、
鳥の目ってやつぁなに考えてるのかわからねーぜ、というセリフが台無しになる。
関わり合いになりたくなかったが
jojo-SC_38i.jpg
犬好きの子供は見殺しには…できねーぜ!
砂のスタンド「愚者」vs.氷のスタンド「ホルス神」
ONE PIECEで喩えるなら、
クロコダイルvs.クザンの戦いだ。こいつは苛烈を極める。
jojo-SC_38j.jpg ファンネルッ!(違
jojo-SC_38k.jpg つらら攻撃をガードッ!
この「愚者」ガード形態は原作のこのシーンには登場しない。
砂の使い方が、NARUTOの一尾 我愛羅っぽくて
使いこなしている感があってよい。
jojo-SC_38l.jpg
「ホルス神」本体を現し、
異常な執念で殺戮追跡マシーンと化したペット・ショップに
jojo-SC_38m.jpg
逃げるイギーは必死の形相。
万事休す。氷に足を取られたイギーの運命は!?
次回:地獄の門番ペット・ショップ その2
あいつが帰ってくる ほっほっほっ・・・(違
余談だが:
今回、はじめてイギーにセリフがついた。
いや、おそらくイギー役の福圓美里女史の台本にも台詞はあるだろうが
本作ならでは、原作と同じものが書かれていたとしても
イギーの場合それは、唸り声とか鳴き声だったはず。
今回は違う。人の言葉を話す。
これはもちろん本当に人語を話しているのではなく、
動物同士のバトルにおいて、
感情の表現をより視聴者に理解しやすくするための工夫である。
そして、ペット・ショップ編が終了すると
二度と再びイギーが言葉を発するシーンはない。
僕は、犬の鳴き声はあくまで「感情を込めた音」に過ぎず、
言語ではないと考えているので、
仮に翻訳したところでロジカルな文章になどならないと思っているが
そこはそれ、やはり犬とはいえスターダストクルセイダースの一員。
ファンにより親しみを感じてもらうために
このシリーズ中、感情表現の手段に限り擬人化したわけだ。
その結果、
シニカルでハードボイルドな態度を取ったり、
駆け引きしたり、後悔したり、
また、顔つきまでがどんどん人間らしくなってゆく。
ところが一方のペット・ショップは凶悪な鳴き声を発するばかりで
終始まったく理屈の通じない「獣」であり
動物同士といえども意思の疎通は図れないのである。
(ブルース・リーの真似したりするくせに・・・
これはイギーとの対比で、人間側の動物と、人外の眷属としての
不気味、脅威、無情などのステータスを強調する演出となっているが
このシリーズ当初は、イギーも
できるだけセリフなどは話させず
いかに表情とボディランゲージのみで伝えるかと試みられた形跡が原作にはある。
それが、当初DIOのことなど我関せずだったイギーが
主体性を持って本シリーズの主人公となったときから
セリフを発し、顔つきがガラリと変わる。
荒木先生が意図して変化をつけたのか、
感情を全面に押し出すあまり勝手に変化してしまったのかは分からない。
アニメに於いても、初登場の25・26話(ンドゥール編)に限り
極めて「犬」然と描かれていることは前に述べたとおりだが
描き分けるならもう1パターン必要だ。
JOJO-SC_25e.jpg
①人に懐かない気ままな畜生(25・26話限定)
②懐いていないが一応我らが仲間
③がんばる僕らの主人公(38・39話限定)
①と③にはギャップがありすぎるのだ。
①と同じ性格だが、見た目だけ少し可愛くなったバージョンが②
そして、
欲を言うなら③の後に、DIOとの対決に腹を括った
④志を同じくする頼れる仲間(40話以降)のバージョンも欲しい。
まぁ、原作での見た目の変遷は
単に「描きやすさ」と「思い入れ」による変化である可能性もあるがね・・・。

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