ジョジョの奇妙な冒険 第四部 #07「間田敏和(サーフィス)」
コミックス 31巻06章~10章までに相当。
同じ学校の3年、間田敏和とささいな口論をした友人(ダチ)がその夜、シャーペンで自分の左目をえぐったらしい。
あぁ・・・アバンタイトルに突然出てきた、見たこともない男がその被害者ね。なんかキモいな。
アイドルヲタ・・・ってほどではないが、特定のアイドルのファンらしい。
この男、原作では間田と「親友」と書かれているが、アニメでは「ダチ」と表現された。
後々わかると思うが、たしかに、間田は他人と濃密な人間関係を築くタイプではないし、「親友」と呼べるほど仲の良い学友がいるとは思えない。
しかし、ただのクラスメートというだけなら、口論と異常行動が結びつきにくく、スタンド使いの仕業かも・・・と考えるのは、いささか飛躍しすぎだ。そのため、無難に「ダチ」に変更したんだろう。
ただ、その口論は「好きなアイドルだかアニメだかをけなしたっつう…」と、他人にとっては激しくどうでもいい理由なわけで、その「どうでもいいけどなんかキモい」ところが重要なのだ。
さらに言うなら、間田が好きな某を、彼がけなしただけなので、その「ダチ」自身がアイドル好きである必要はなく、仮にそうだったとしてもそれを掘り下げて明確に描写する必要はない。ってか、そこはボカしておく方がいい。どうでもいいのだから。
調査開始
間田のロッカーを勝手に物色。
テニス部でマンガ好き・・・
間田がテニス部…には、激しく違和感を覚えるが、それは置いておいて「マンガ好き」というのはどうなのか。
原作ではロッカーに入っているマンガは単行本。確かにコミックスを揃えているなら「マンガ好き」と言っていい。
僕的には、週刊マンガ雑誌を毎週買っている程度は「マンガ好き」の根拠とはいえないのだが、一般的にはそれでも充分なのかね?
これは、岸辺露伴の「ピンクダークの少年」が載っている雑誌を描きたかっただけじゃないかと思う。
「間田がマンガ好き」を描写するだけなら、単行本のほうが効果的だと思うね。
ロッカーに入っていた木製人形に触ったら・・・
おれになりやがった
間田はスタンド使いだ!
パーマンに出てくるコピーロボット
今のお子様は知らないと思うが、そのまま使ったな。
ちなみにコピーロボットとは
パーマンとして活動している間に、自分の代わりを務めさせるロボットで、鼻のスイッチを押せば誰にでも変身でき、留守の間の体験も、もれなくインポートしてくれる優れものだ。
パーマンは1983年〜87年にカラー版が放送された。仗助が0〜4歳の頃だ。
その後も繰り返し再放送されているので、当時のお子達の標準知識であってもおかしくはない。ただ、F先生がお亡くなりになられた96年以降は、再放送もめっきり減り、99年頃はドラえもん以外のF先生作品はほとんど放送されていなかったので仗助が覚えていなくとも無理はない。
ここで少し気になるのは、このスタンド:サーフィス(うわっ面)の変身能力の詳細だ。
触れた人間の姿、仕草、指紋、声紋から性格まで完全にコピーするとあるが、「うわっ面」の名前通り、その精神や記憶などはコピーされない。
この人形のメンタリティは、サーフィス自体のものか、もしくは本体である間田敏和のものということだ。
間田は「アイドルだかアニメだか」にご執心らしいので、パーマンの知識は間田由来のものだろう。
スタンドの名は「サーフィス(うわっ面)」人形に取り付くことで実体化している。よって… 普通の人間にも見ることができる。承太郎を半殺しにして、町から追い出すのが目的・・・
原作にない説明ありがとう。
これまでも、一般人にも見えるスタンドは登場したことがあるが、あまりにも身近で生々しいので注釈したのかな。
人形に取り付いたと言っているので、呪いのデーボの「エボニーデビル」のようにスタンド自身はまた別の姿をしているということか。この後の展開とも齟齬がないように、分かりやすくセリフがまとめられているが気になる点もある。
時を止められるスタープラチナに近づけるスタンド使いはオレたちの仲間にはいねぇ
「対抗できる」というセリフが削除されたのは、面と向かって対抗できる力はないが、近づきさえすれば何とかできるという意味。「黄の節制」や「クヌム神」でも似たことができそうだが、そんな能力を持ったスタンド使いは仲間にいないのだそうだ。
はて、仲間とな?それは一体誰のことだ。
間田は誰かとつるむタイプではないし、それどころか心だって容易に開かない。となれば、誰かに力で従わされている以外に考えられない。しかし間田をスタンド使いにした形兆はもういない。
仗助に敗れ、レッチリに殺される前に形兆は、自分がスタンド使いにした者たちを束ね、グループを作っていたとでも言うのか。
中島…じゃなくて
間田とサーフィスは仗助の目玉をえぐったと思い込んで次なるターゲット、承太郎のもとへ行った。
しかし仗助と康一は互いのスタンドで助けあい、深く傷ついたふりをして、間田の目を欺いていた。
驚くべきは康一の成長。
スタンド能力に覚醒してまだ日も浅いのに、この度胸、そして機転。
急に男らしくなった康一に、恋する乙女もそりゃ現れるってものだ。
1999年頃といえば、もうすでに携帯電話がかなり普及しており、高校生でもPHSを当たり前に持っていた時代。しかし、原作を連載していた92年頃には、まだその兆候もなく、95年頃から爆発的に普及したのだから、原作に描けたはずもない。
だが、携帯を持っていたら、ホテルの承太郎と連絡が取れないという、このすれ違いは描写できないので、仗助も康一も買ってもらっていない、と理解すればいいのだが、時代的に、また職業的に、承太郎が持っていないはずはないんだよなぁ。
間田たちよりも先に承太郎のところに辿り着いたものの、ガラスの向こうから仗助を操る「サーフィス」。承太郎危機一髪!
しかし、仗助が傷を治してやった怒りのバイカー二人の復讐にあい、間田敏和あえなくリタイヤ。
殴られたショックで、なのか、サーフィスは木偶に戻った。
人形を壊して一件落着・・・のようにも見えるが、仗助も「とりあえず」と言っているように、人形を壊すことに意味は無い。気分の問題だ。「サーフィス」は人形に取り付いていたのであり、これ自体がスタンドではない。
人形がスタンドそのものだったら、間田はとっくに右手を失っていたし、今この攻撃で全身ズタズタになっているはずだ。
間田自身、事が終われば、仗助の姿のまま人形を粉々にする気でいたので、おそらく変わりの人形があるのだろう。
退院したら、また何かやリそうだとは思うが、もう仗助や承太郎にちょっかいは出さないだろう。
ラスト
救急車で運ばれる間田を「マヌケな野郎だ」と吐いて捨てるレッチリ。
ご丁寧に弓と矢を持ち歩いてるのかwww
そういえば、原作では
間田は形兆の手によってスタンド使いになったと言われているが、アニメでは玉美からその証言は出ていない。
間田が「サーフィス」を使って友人の目玉をえぐったのも、原作では仗助たちが入学する前と明言されているが、アニメでは「春先」と、曖昧な表現がなされている。これでは間田をスタンド使いにしたのが形兆であるとは断定できない。レッチリが配下として間田を従えていた可能性もあるわけだ。レッチリは手下の仕事の顛末を見に来ていたんだろうか。
しばらく後に、間田敏和は再登場するはずなので、そのときになにか分かるといいのだが。
次回「山岸由花子は恋をする その1」
康一が主役級の話、多いな。
おことわり)
アニメ「ジョジョの奇妙な冒険」 のレビューは
「原作準拠」の検証の目的で、コミックとの比較をするスタンスで書いていましたが
第四部は、三部までほど「原作準拠」に拘っていないようなので、比較はもちろんしつつ、
筆者の勝手な推察や持論を、多めに盛り込んで書いてゆきます。
基本的に、揚げ足取り中心の文章となることはこれまでと変わりないので
ファンの方には、しばしば不愉快な思いをさせることがあると思いますが、
筆者は決して悪意を持ってはいないことをご理解の上読み進めていただけると幸いです。
また、検証・認識の甘さから、的はずれなことを書くかもしれません。
その場合は、遠慮なくご指摘ください。
ご指摘・お叱り・応援、あらゆるご意見を歓迎します。