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ONEPIECE 962「大名と家臣」

 




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第920話(コミックス91巻収録)で錦えもんが熱く語った「おでん様ダイジェスト」。


今回の回想は、ほぼそれを准るもの。それらの出来事のさなかに、後の赤鞘の侍たちがどのようにして仲間(家来)になり、おでんを敬愛しまくるようになったか、そして、はじめは迷惑がっていたおでんが、どのようにして彼らを信頼するに至ったか…が、掻い摘んで語られた。

ところで「ワンピはあと5年で完結する」とオダッチが宣言したそうだが、昨今のワンピは1年に39話のペースで掲載されているので、だいたいあと200話足らずで話を畳むつもり…ということになる。
ワノ国編はワンピの物語の根幹に大きく関わってくるとのことなので、ワノ国編で、過去のいくつかの大きな謎が解明され、同時に現代の大きな壁や問題点が明らかになり、そして物語はクライマックスへ・・・と考えていいんだろうか。

しかし、オダッチが5年と概算したならば、少なく見積もっても7・8年かかるんじゃねェの?なんて”つい”考えてしまうのは、当然、長く続いてほしい、そして丁寧に描写してほしいという願望も込みだからである。読者諸兄はどうお考えだろうか・・・。

〜閑話休題〜



おれはこのどうしようもねェクズ共の王になる。

最強のアシュラ童子を倒し、荒ぶる修羅の郷「九里」を平定したおでん。
そのまま無法者のボスになるのではなく、どうしようもないクズ共をマトモにするための主幹となる決意をした。
錦えもんたちチンピラが慕ってついてくるのを疎んじていたおでんが…である。

そもそも、鎖国によって閉鎖されたワノ国は、限られた土地も、古来からの風習も、人々の考えも、何もかもがおでんには物足りなかったはずだ。

すべてをアップデートしたい。おそらくそんな事を考えたおでんは、ワノ国の普通の民が考えもしない、考えてもまず行動しないことを手当たりしだいにやってきた。海に出ようというのもその一つだったに違いない。…というか、ワノ国という小さな枠から抜け出るためにどうしても必要なことだったのだろう。

そして今、父将軍に絶縁され、居場所を失い、おでんは何者でもなくなった。
何をやっても誰にも迷惑はかからない。それならば、誰の手にも負えなかったことに首を突っ込んでみるのもまた一興。それが父将軍=国でも解決できない事案ならば、それを成し遂げれば何か別のものが見えてくる、と考えたのかもしれない。


九里のルールは「入ってくるものは拒まないが、出るものは殺す。」
ビッグ・マムの考えと似ているが、それはひとまず置いておいて、思考や能力の拡張、世界の拡張を常に求める(と思しき)おでんにとって、その壁は内側から取っ払わなければならなかった。


ワノ国の中でも、もっとも閉鎖的で窮屈な流れ者の巣窟「九里」を開放した。
ここで、おでんは何か閃いたようだ。

これまで窮屈さから逃れるために、自分一人で外へ外へと目を向け行動してきたが、内側からの拡張、勢力の拡大に何かヒントを得たのか、

おでんは田畑や道路を作り、用水路などインフラを整備し、食料の安定供給のための農園を作り、川に船を往き来させ、土地を繋ぎ、人を繋いだ。ミニマム国家の誕生だ。

未開人に「秩序」を与え、守らせるには強烈なリーダーシップが必要だったことは間違いない。
ルールを強制されることを何より嫌うおでんが、荒くれどもに「秩序」を説くなんて、おでんにとっても相当な苦痛だったであろうことは想像に難くない。しかしこれは、おでんによる「国づくり」の第一歩だ。

国とは人。たとえ国が滅びようとも、人のいる所に再び国が成るように、人の営みさえあれば、ゼロから国が作れるのだ。
九里の開発は、おでんの趣味と実益を兼ねた、大いなる実験だったような気がするな。


かくして、おでんは絶縁を解かれ、無法地帯から正式な郷となった「九里」の大名に任命され、それと同時に、ただの「家来」だった錦えもんたちは、大名おでんの正式な家臣に格上げされた。

これが「山の神事件」から二年後、おでん20歳の出来事。
この時点でおでんの家臣は7人。


錦えもん、傳ジロー、カン十郎、雷ぞう、アシュラ童子、そして鈴後で拾った女形の兄弟イゾウと菊の丞
20年前に赤鞘九人男と呼ばれた中には菊の丞がいたが、もっと昔、彼らが半人前を康イエに咎められたとき、そこには菊の丞がおらずイゾウがいた。

二人が兄弟だったとは驚きだが、イゾウはおでんと一緒に白ひげの船に乗り、おでんがロジャーに引き抜かれたときに、何か思うところがあって白ひげの船に残ったんだろう。
なにか役目を与えられておでんの指示で残留したのか、イゾウが自分からおでんより白ひげを選んだのか、はたまた何かトラブルで生き別れになってしまったか、この経緯はとても興味深い。

余談だが:イゾウってああ見えて50歳近いのな・・・。



それから6年経った33年前、九里ケ浜に打ち上げられたイヌアラシとネコマムシを発見したのは河童の河松だが、おそらくこの時はまだ三人ともおでんと出会っていない。

これから「変な生き物」として虐待されているところを、三人まとめておでんに救われるのだと思うのだが、まだうら若いイヌネコは、この頃はまだモコモ公国の「王」ではないと思われ、仲間の命の恩人だとて、これまたこの後どのような経緯で、モコモ公国すべてのミンク族が光月家に仕えるようになるのか、非常に気になる。


ところで、九里に踏み込んだおでんの「侍が来た」と、九里平定後の「おれの侍になれ」が印象的だ。
おでんにとって「侍」とは、いったい何ぞや!?

そして、41年前・・・その頃からはじまっていた


オロチの地味〜な陰謀。
康イエは何か感づいているようだが、さて・・・。

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