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ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破

 




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非常にいまさらですがDVDでようやく見たので感想を。
前回の「序」のときは、12年前のTV版を今の技術でもう一度作り直すことで
既視感と違和感を仕掛けとして使い、
さらに新しい設定と解釈を盛り込んで全く新しいエヴァンゲリオンを。
というテーマにワクワクさせられた。
旧作を何度も観て自分なりに咀嚼しまくった人であればあるほど
1シーン1シーンがドキワクの連続で、
上っ面で同じストーリーをなぞっているのに
一番重要な謎の部分はまるで新しく作り替えられていることに
続編への期待が高まった。
さて、そして二作目「破」である。
結局劇場で観れなかったので、今回が初見なのです。
いまさらなのはご愛敬でよろしく。
感想を一言で言うなら「少し期待はずれ」だった。
エヴァはその人気の高さゆえに、当初より「鋼鉄のガールフレンド」をはじめとする
公式の派生作品がゲーム、漫画、小説など、ゴマンとある。
どの作品も当然オリジナルスタッフが作っているはずはなく
絵柄がバラバラなのはもちろん、キャラの性格も違っていたり
同人ではなく、金儲けしたさ(かどうか知らないが)に
公式でこれを認めている一番悪い影響が「世界観の崩壊」だ。
この「破」をざっと観ると
スケジュールの都合なのかマンパワーの問題なのかはわからないが
作画監督が数人おり、絵柄が統一されていない。
そして中途半端に設定をなぞりながら、キャラ達に新しいことをさせる様子は
派生のB級アンソロジー作品を見ているかのような気持ちにさせる。
旧作と同じシーン、同じセリフが出てきても
なんか無理して使っているような気にすらさせる。
終わってみれば、今作も「序」と同じく
新しい謎の部分を謎のままに、カヲルくんと月のアダムの真相も勿体つけたまま
旧作の進行をなぞる展開となったわけだが、
「序」と違い、今作だけでは完結していないラストのせいで実に不完全燃焼だ。
「ラストの引き」が強すぎて、次回予告がちっともワクワクしない。
「序」のときは「これは次が楽しみだ」と
心底思わせてくれ”さすが”と感じたのだが、今作にはそれはなかった。
なんというか、うまく説明できないが
ラストの展開が、盛り上げるためにムリヤリてこ入れしたジャンプの漫画のように
なんかいろいろメーターを振り切りすぎていて、
リツコさんが説明すればするほど説得力を感じない。
余談だが
昔、藤子F不二雄先生が、
たとえばドラえもんの道具やパーマンのマスクやマントなど
SFというものは、現代の科学で説明できない魔法のようなものがよい
と言ったそうだ。
「パーマンのマスクを被るただそれだけで6600倍の力が発揮できるのだ」
という夢にあふれた注釈があれば、そこに原理の説明などは不要なのだそうだ。

反面、エヴァンゲリオンなどは、現代科学でまだ実現不可能だが
(デタラメでも)理論的にはいつか実現できそうな未来兵器という
SFではなく、現代科学の延長のリアルさを売りとしているわけで
どれだけトンデモ展開になろうとも、視聴者を納得させなければいけないだろう。
それなのにラストの展開はちょっとトンデモすぎると言わざるを得ない。
そういう意味ではAKIRAや、エヴァ旧劇場版のラストも同様の疑いがあるが
そこの線引きは各人にまかせられる部分で
僕個人的に、AKIRAやエヴァ旧劇場版はアリで
「破」はちょっと「う~ん」な感じなのだ。
もちろん、四部作なのだから残り二作で納得のいく結末が描かれると思いたいが
いったいいつになるのか分からないし
現段階では、次作へ投げっぱなしのエンディングに
消化不良というより他はないのである。
時間が経てば経つほど見る目も冷めていくしなぁ・・・
あ、あと、冬月の声が別人みたいだったけど、
完結するまで清川さん生きてるだろうか・・・

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