鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST 第63話
原作:108話の6割ほど
人を見下し神を手に入れた男の凄絶な自問
叙情的に綴られたコミック版の一問一問が
ただエドに殴られるだけの貧相な描写にされているのもたいがい酷いですが、後ろのギャラリーが描き込まれていることで「差しで決着つけた感」が台無し
かと言って、みんなで倒した感が強調されているでもなく、やはり前回ラストの「格の違いを見せてやるから立て」というセリフに大して意味が持たせられていなかったことが如実に表されています。
前回”仲間意識”に目覚めたグリードが、吹き飛ばされた一般兵を気にかけた隙に
必死で賢者の石を求めるフラスコの中の小人の一撃を食らう。
これはちょっと工夫を感じた。
たしかにフラフラで限界ヨロシクの親父殿に不意打ちを食らうとは考えにくい。
そして一世一代の嘘をつき犠牲になるグリード
ランファンに本体から切り離させ親父殿に一矢報いるつもり
ここ、ランファンが義手の仕込み刀ではなく手持ちのくないで斬りつけるのは何か意味があるのかな?
頭部以外をほぼすべて炭化するほどの激しい反抗期
それでも親父殿にとどめを刺すに至らず、口から引きずり出されるグリード本体が・・・
そして、グリードによって消し炭同然になった肉体にエドの正拳がトドメ
空いた穴から一気に吹き出す魂
そして魂を失い空虚になった内部から真理に取り込まれるフラスコの中の小人が墜ちたところは、何も描かれていない扉の前
相対するは「すべてを知る内なる自分」=真理
自らの行いに対する正当な対価として”無”に戻されるフラスコの中の小人(の中の人)
我が身を犠牲にし、向こうへ行ったまま戻らないアル
ちょうどひとり分残った自分の命を使ってアルを取り戻せというホーエンハイムに
バカ言うなクソ親父と怒鳴りつけるエド
エドの涙がコミックよりしつこいめに描かれ、今までの自分の態度にいろんな後悔の念とか吹き出す様子が感じられますね。
対するホーエンハイムは「すまない」
ここまで来て更にエドに辛い選択をさせるところだったことに気付かされ、自分のために涙を流してくれたエドに対する謝罪のことば
コミックでは、憎まれ口でもようやく”親父”と呼ばれたと微笑みかえすシーン、どちらも捨てがたいですけど、重大な問題に直面した重苦しい場の雰囲気を持続させたかったんでしょうね。
これはこれでアリです。
エドなら片手落ちの解決はしないと大佐のセリフを挟まなかったのもいいでしょう。
かつて自分の会社で作った作品のエンディングを全否定しちゃいますからね。
アルの肉体がそうであるように、向こうへ行っていたエドの右腕は左腕より若干痩せて爪が伸びている。
加えてコミックでは指が少し短く描かれているんですが、まぁそこは問うまい。何年も向こうに行っててツメが数ミリしか伸びていないとかもな。
真理の元へ自ら赴き、得た知識と可能性を放棄することで代価を支払うエド
錬金術を使えないただの人間として、あたりまえに生きていく決意
ここはアルが取り戻してくれた右手を差し伸べる、さりげなく意味のあるカットだったんですがアニメでは華麗にスルー
おのれの血から生まれた元凶に対する責任と、分身を自ら断罪した虚無感
現れたアームストロング少佐に謝辞を述べられ、救われた気持ちで中央を去りますが、その役はイズミかマスタング大佐の方が良かったんじゃ・・・
そしてトリシャの墓へ戻ってきたホーエンハイム
エドワードが親父って呼んでくれたんだ・・・クソが付いてたけどな
うれしそうに報告するホーエンハイムが印象的です。
次回:最終回
やっぱり鉄道の窓から外を眺めて終わるのか・・・
注)
鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST のレビューは
「コミックとアニメはあくまで別物」という大前提のもと、
今回の再アニメ化に際しては原作準拠のストーリー展開で。という製作趣旨をあえて真に受けて、
コミック版との比較をしてみようというスタンスで書いています。
決して原作マンセーな人ではありませんし、アニメスタッフに喧嘩を売るつもりもありませんが
思ったことは言うというブログ自体の姿勢は崩すつもりもありませんので
ファンの方には、しばしば不愉快な思いをさせることがあると思います。
それはもう、ご了承ください。