Cogito, Ergo Sum

僕だけがいない街

2018/06/22
 




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※今回はネタバレ少なめですw

アニメ「僕だけがいない街」が全12話をもって終了した。
2012年から連載が始まった原作コミックもこのほどめでたく完結を迎えたが、これからまさにクライマックスというところでアニメが始まったので
ラストがどうなるのか、アニメ開始当初から気になっていた。

原作は全44話と、一見すると、さほど長編ではなさそうだが、掲載誌が月刊誌なので一話あたりのボリュームがそこそこあり、本当なら2クールとか、1クール×2期とかでじっくり作って欲しいところだ。

しかし全12話の蓋を開けてみれば、細かな描写を省いている点でキャラ造形の奥深さなどは原作に及ばないが、実に見事なペース配分で12話を作りきり
ストーリーの破綻もなく、物語は綺麗に完結した。そう綺麗に。・・・ちょっと綺麗すぎたくらいだ。

「鬼燈の島-ホオズキノシマ-」「魍魎の揺りかご」といった同じ三部けいによるコミック作品らと同様に、本作も特殊な閉鎖空間における人間の狂気を描くミステリーといえる。
本作は、孤島や旅客船という物質的な閉鎖空間ではなく、主人公の生い立ちと特殊能力による、事件から逃れられない運命と使命感から、自分しか知らない「未来の事象」を回避するために。見た目は子ども・頭脳は大人の少年が、頭を捻り奔走するという特殊な限定的世界観を創りだした。

何度も人生をやり直す、所謂「繰り返し世界モノ」は昨今巷に溢れているが、科学でも魔法でもなければ、もちろん真理などでもない、主人公だけの特殊能力(原理不明)のみにSF要素を限定したところにこの作品の独自性はある。

世界観や能力の見た目の派手さとは無縁の、むしろ地味と言い切ってもかまわない北海道の田舎町に根ざすローカル性と、昭和の小学生の行動力の範囲に制限された主人公たちの、ごく身近な行動や感情が、読者に受け入れられた理由だろう。

三部けいの描く絵は、ぶっちゃけ上手くはない。(スマン)
キャラの表情も、顔の向きも、動きもワンパターンだし線も粗い。とても荒木飛呂彦のチーフアシを務めていたとはにわかに信じがたいのだが、ただその雑なペンタッチがミステリー作品で映えるのである。
僕が、三部けい作品では「SFアクションもの」よりも「現代ミステリーもの」の方が好きなのは、そういう理由からなのだろうか。

いや、しかし「綺麗すぎた」と前述したのは、何も絵柄に限ったことではない。
アニメ用のキャラクターは、確かに三部キャラ独特の「濃さ」がなかったので、物足りなさと「なんか違う」感に、はじめは戸惑ったが、絵を動かさねばならないアニメでは、キャラクターのある種の「記号化」は仕方ないし、適している。

綺麗すぎたのは、話のまとめ方・・・かな。

原作の長い物語が、12話という限られた時間に、齟齬がないように上手くまとめられてはいる。
しかしそのせいで、話の基点となるべきエピソードが他のエピソードとひとまとめにされていたりする。そのときには「上手くまとめたな」と思ったのだが、後になってみると、あれが単独で描かれなかったせいでその後の展開をこうせざるを得なかった・・・なんて不満もいくつかある。これは賛否あるだろうけど。

もっとも気になるのが、アイリの扱いだ。
最初の世界線におけるヒロインであるアイリは、深い人間関係を築けないまま大人になった主人公:悟が、他人を信じることの価値や、一歩踏み出すきっかけを与えてくれた掛け替えのない人物だ。
悟の過去での成功もアイリとの出会いがなければ無かったといっていい。

そして、他人を信じ、共に信じ合える仲間を育み、今、障害を乗り越える力を獲得した悟が、二度やり直した大人としての人生に満足のゆく形で「戻ってきた(これた)」ことの象徴的存在だ。

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そのアイリと再び出会い(この世界線でのアイリにとっては初対面)悟が、記憶と感情を取り戻しながら、決意を新たにするという重要なイベントがなくなり、犯人自身が悟の前に姿を現すというイベントに変更された。
これには驚いた。

ここまでずっと丁寧に原作をなぞりつつ、うまくまとめて来たアニメ版が、最終回手前の第11話のラスト5分でいきなりのオリジナル展開に突入である。ここから先は、悟と犯人の相互補完関係とか、いろんな動機とか、原作とかなり異なる点が多いが、オリジナル展開に突入してしまったのだから、それは仕方ない。

しかし、悟にとってのアイリの存在価値まで改変されてはかなわない。

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本作はアイリとの関係無くしては始まらなかったし、終われもしないのだ。

アニメスタッフもそれを理解しているからこそ、原作とは異なるイベントで悟と犯人に決着を付けさせた後のエピローグを原作と同じにしたのだろう。
アイリに会って終わるのはいい。この再会なしに物語は終われない。
しかし、アニメ版においてアイリは、肝心の「再会」のイベントを省略したため、

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「世界中の”空”の写真を撮る」という夢を語る機会を失った。

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指で窓を作って画角を決めるというのも、本来はアイリの受け売りなんだがアニメでは”漫画家としての”悟の行動という表現になってしまった。

にも関わらず、このエピローグでアイリは
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カメラを抱え、写真を撮りながら現れる。なんだかちぐはぐだ。

原作でもカメラバッグっぽいものを下げてはいるが、カメラは見えない。
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余談だが、空を撮るときにフラッシュを焚くカメラマンなど居ない。

カメラを下げているのも、フラッシュを焚いているのも、視聴者にアイリの夢を説明できなかったアニメスタッフが、言い訳がましく、申し訳程度に加えた追加要素だったのだろうと思う。この、アイリが持っているカメラには意味があるのだ、と言いたいのだろう。

しかしこれは原作を読んでいないと気づくことはない。ここだけが、ほぼ唯一納得がいかないところだ。

ノイタミナ枠のアニメを見たのは久しぶりだったが、よく出来ていたと思う。おおむね満足だ。
ただ・・・映画版は・・・どうなんだろうねぇ・・・・

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Comment

  1. おざ より:

    原作を読んでいないのでアニメとの違いが分かりませんが面白かったです。
    でもこの手のタイムリーパーが出来る主人公が当初いた世界に戻って完結という流れでなく、子供に戻った時間軸で完結というのはビックリです。
    暫く未来見えるが天才少年ですが、脳年齢は相当年寄りな気がします(笑)
    映画版でこの手を再現するのはなかなか難しい気が・・映画なら原作を超えるストーリー展開を期待したいところですが。。

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